リングにかけろのキャラの中でも屈指の人気を誇る影道総帥ですが、改めて考えてみると、この「影道一族」という存在、かなり謎に包まれたものなので、今回はこれについて少し考察してみたいと思います。
作中の記載によると、明治29年に横浜で創設された日本最初のボクシング道場「メリケン練習所」に「影道」という名の天才的な男が現れます。

彼は大正10年に日本ボクシング創世の父と言われる渡辺勇次郎によって設立された「日本拳闘倶楽部道場」の四天王をも瞬殺してしまいますが、当時の関係者は血で血を洗う影道 のボクシングを邪道と見なし認めませんでした。しかし少なからずそれに憧れる者も現れ、邪道の流派として闇から闇へと受け継がれていったとのことです。

まあ、今になって考えれば、これが史実と創作を混ぜ合わせたものだということはすぐに分かりますが、当時純真だった子どもたちの中には、民明書房よろしく、本当にあったことだと思い込んでしまった子も結構いたようですw また「影道=シャドウ」とはすごく洒落たネーミングだなぁと思ったものですが、よくよく考えれば「影」は絶対に「シャ」とは読まないのですよね(汗)

それはさておき、まず第一の疑問が、この少年の「影道」とは名字なのか?名前なのか?ということですが、影道総帥(影道殉)の息子が影道嵐であること、また一般的に「○○一族」と言う際には名字を使うことから、影道は名字ということで良いのでしょう。

ただここで新たな疑問として派生するのが、リングにかけろ2で登場した野火の息子が漁火、黒夜叉の息子が赤夜叉だったことから、野火や黒夜叉は「名前」だと考えられるわけですが、「じゃあ彼らの名字は何なんだ?」ということ。野火や黒夜叉は初代影道に憧れた門下生の末裔だと思われるので、「一族」とは言うものの、横の関係の血のつながりは無いと推測され、もしかすると山田野火、佐藤黒夜叉などという名前なのかもwまあ門下生は特別に影道の姓を名乗ることを許されているのかもしれませんが。

それと、大村会長は影道のことを「とっくに消滅したと思っていた」と語っていますが、実は自身が戦時中に当時の影道総帥の下を訪れているのですよね。正直「2」は後付け的なものが多く、矛盾もかなりあるので、それを突っ込むのは野暮なのかもしれませんが、ちょっと不思議に感じた次第です。ちなみに大村会長は昭和16年時点で15歳なので、竜児たちと知り合った頃は50歳代前半ということになります。

次に、剣崎家と影道の関係です。ネネが剣崎家に自由に出入りしていること、影道の面々が剣崎に敬語を使うことなどから推測して、両者は主従関係にあり、常識的に考えれば、剣崎財閥の政敵を影道がその暗殺術によって葬ってきたのではないかと思われます。双子の一方の殉を影道に預けたのも、決して偶然ではないでしょう。

ただそれは剣崎財閥が影道に弱みを握られていることにもつながり、結果、日本ジュニアと影道が万博会場跡で世界大会の出場権を賭けた闘いをする際に、剣崎財閥はマスコミを煽らざるを得なくなったのではないでしょうか。

また、ネネは三代目総帥の実の娘で、影道殉とは血の繋がっていない兄妹だと思われます。「2」で登場した影道嵐の母親はおそらくネネではないかと思うのですが、具体的な描写が無かったのが残念でした。他にも「二代目ヘルガの母親はキャサリンでは?」「伊織の母親(志那虎の嫁)は誰?」などなど、知りたいことは山ほどありますが、そのあたりのことって、不思議なくらい描かれていないのですよねぇ。

最後に「影道の塔」について。菊ちゃんをさらわれ、竜児はザコの道案内で影道の塔に赴くわけですが、車などに乗っている描写が無いので、おそらく月島の大村ジムから徒歩圏内の所だと思うのですよね。

さらに、後からやはり徒歩で追いかけた石松が難なくたどり着けたことを考えると、この影道の塔は地元ではかなり有名な存在なのではないかと。そりゃあんなものが都内に建っていたら、めちゃくちゃ目立ちますもんね。

しかし一方で、バルカン登場時や十二神戦の際の描写などから、「影道の本陣は富士の樹海にあるのでは?」と思わせるフシもありまして、極めつけは「2」で若き日の大村会長がそれを明言しています(由来解説付き)。もうこうなると、影道の塔は月島からの徒歩圏内と、富士の樹海とで2箇所あるとしか説明が付かないですねw

ということで、今回書いたことの多くはあくまで私の推測、憶測にすぎませんので、「いや、これはこうなんじゃないか?」などがありましたら、ぜひ教えていただけると嬉しいです。

