前回は阿修羅編の人気が今ひとつだったことについて考察しました、今回は逆に良かった点を考えていきたいと思います。
週刊少年ジャンプと言えばやはり「努力・友情・勝利」ですが、ここまでのリングにかけろは、基本的に「努力」と「勝利」に重きが置かれていて、「友情」はあまりクローズアップされていなかったように思えます。
事実、意外なことに作中で「友情」という単語が初めて使われたのは阿修羅編に入ってからですし、剣崎の言葉を借りれば、黄金の日本ジュニアも「外国勢を倒し世界制覇を成し遂げるために集まったに過ぎなかった」わけです。
それがこの阿修羅編では友情のために、友のために、河井のためにみんなは闘っており、先の剣崎でさえ、例によって格好は付けるものの、仲間と共に参戦する男気を見せていますw
よく「リングにかけろは他の車田作品に比べて人間ドラマが多いのが好き」という声を聞きますが、まさにその人間ドラマが凝縮されているのがこの阿修羅編であり、阿修羅の本陣に乗り込む前の剣崎と総帥の会話なども胸に響くものがありますね。
いずれにせよ、日本ジュニアが単に勝利を得るためのチームではなく、熱い絆で結ばれたものだと示すことで、後の剣崎対石松のバトルや、河井が熱情を演奏するシーンにぐっと深みを増しているのは間違いありません。
特に熱情は、個人的にはリングにかけろの中でも一二を争う大好きな場面だけに、それだけで阿修羅編には大きな意味があったと思います。
さて、それとは別にもう一つ阿修羅編の効用として大きかったのは、十二神編とプロ編の良いつなぎ役になったということでしょうか。
前回も書きましたが、当時の十二神編の盛り上がり方は異様であり、もし阿修羅編無しにプロ編に続けてしまうと、その熱気にやられてプロ編自体が興ざめしたものになってしまった可能性もあると思うのですよね。その意味で、言い方は悪いですが、阿修羅編はいい酔い覚ましになったのではないかと。
加えて、後半で例えば闇法師が「プロのライセンス」などとおよそ闘いの最中にはふさわしくない具体的な単語を用いて、もうすぐプロ編が始まることを示唆するなど、つなぎ役としてなかなかいい仕事をしたと思いますw
さらにテリオスの描写などにも新しい試みが見られますし、少なくても私としては結構楽しめたパートだったのですが、みなさんはいかがでしたでしょうか?
ちなみに貴子さんが河井のことを弟ではないと思い込んでいたのは阿修羅の暗示によるもので、二人は正真正銘の姉弟だったことがリングにかけろ2で明らかになりました。
ということで、最後に阿修羅編の小ネタといいますか、突っ込みどころを3つばかり載せておきますw
一つ目はなんと言ってもこれ。阿修羅編最大の謎と言われる、この執事の持ってきた紙には何が書いてあったのか?阿修羅が不死身だというのはもはや周知の事実でしたし、まさか今さら「阿修羅は不死身」と書いてあったわけでもないと思いますが。それにしても剣崎は、結構「生きて帰れない」とか「全員負ける」などの言葉を口にしますね。あとパラソルでくつろぐ時も学生服なのがシュールですw
次に、阿修羅の総本山は三重にあったのですが、竜児が三重に行くことを選んだのはただの偶然のはず。もし竜児が他の場所を選んでいたら、阿修羅はどうしていたのでしょうか?
最後に、雑誌連載時、獅子王と闇法師は四天王の一人という設定だったのですが、次にいきなり六つ子が出てきて、単行本化の際に四天王という設定自体が無しになってしまいました・・・以上w