リングにかけろ年表

リングにかけろ1

1983年7月7日、日本武道館でリングにかけろ最後の闘いとなる竜児と剣崎のタイトルマッチが行われました。しかし実際にこれが週刊少年ジャンプに掲載されたのは1981年のことで、物語上のそれとは約2年の差があります。

おそらく、あの感動のラストシーンを描くためには、1965年7月4日生まれの剣崎が結婚できる年齢(18歳)に達していなくてはならないため、この日時を設定したものと想像できますが、今回はそれを含め、掲載号と物語上の年月について順を追って考察してみたいと思います。

まず山口の実家を飛び出して聖華学院に編入した時、竜児は小学校5年生でした。竜児の誕生日は1966年6月29日ですから、5年生になるのは1977年。そしてジャンプでリングにかけろの連載が始まったのも1977年の第2号なので、この時点では時系列はほぼ一致しています。

ちなみに菊ちゃんは中等部の3年に編入している描写があるので、二人の年の差は学年で4つということになりますね。

その後1977年25号で竜児は月島五中に入学しますが、1966年生まれの竜児が中学生になるのは本来なら1979年のはずなので、ここで物語が約2年先行する形になります。しかし都大会、チャンピオンカーニバル、日米決戦、影道、世界大会を(物語上で)わずか半年以内に詰め込む超ハードスケジュールの敢行によって、世界大会時には連載と物語上の日時は1979年末ということで再び一致するのでした。

話しはそれますが、チャンピオンカーニバルは1979年の夏に開催されたものと思われるのですが、この時、河井の姉・貴子さんはセーラー服姿で車を乗り回しているのですね。この時点で運転免許を所持している高校生ということで、貴子さんの誕生日は1961年の春頃と推測されます(私と同じだw)。

話しを戻すと、世界大会の後、日本ジュニアは3ヶ月の仮死状態となるため、十二神戦はおそらく1980年の春。この間に竜児は中学2年に進級しているものと思われるわけですが、十二神戦が終わった翌週号ですぐに阿修羅編が始まり、「竜児は来春に中学を卒業」との描写があります。つまりこの時点で、また1年物語が先行する形になるのですね。

そしてプロ編です。1981年19号で剣崎はプロ入りを発表しますが、この時の新聞の日付は1982年4月7日で、やはり約1年物語が先行しているので、辻褄は合っていると言えます。

最後に、ジーザス戦の後、月日が流れた描写があり、1981年31号で竜児のプロ入り&剣崎とのタイトルマッチが決定。この時の新聞の日付が1983年6月30日(竜児の17歳の誕生日の翌日)なので、ここに冒頭で述べた「連載より物語が2年先行」の図式が完成したのでした。それにしても、プロ入りから世界タイトルマッチまでがわずか一週間というのが前代未聞ですね。

と、ここまで色々書いてきましたが、実は作中で明らかに誤りだと思われるものが一箇所ありまして、それは日米決戦が昭和53年(1978年)に行われたという新聞記事です。1978年だと、1966年生まれの竜児はまだ小学生なのですよね 汗) 編集がそれに気付いたのか、改訂版ではこの部分は削除されていますが、まさか車田先生も半世紀近く経ってこんな細かい部分を突っ込まれるとは思ってもみなかったのではと思いますw

今回はかなり細かい考察となりましたが、「この時、自分は何をしていたのか?」などと考えると意外と楽しいので、ぜひご自身の年表と照らし合わせてみてくださいませ。

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