アストロ超人

アストロ球団

本日9月9日は、我らがリングにかけろに多大なる影響を及ぼしたと言われるアストロ超人たちの72歳のお誕生日。当時19歳という設定だった彼らも、もうすぐ後期高齢者になろうかという年齢です。本当に時が経つのは早いですね。ということで今回は「アストロ球団」について少し語らせていただこうと思います。

アストロ球団の連載が始まったのは1972年(昭和47年)。この年には「ドカベン」「キャプテン」「野球狂の詩」なども連載開始になっており、まさに野球漫画の当たり年だったと言えます。

ただアストロを語る上で避けて通れないのが「群竜伝」という作品の存在。当時ジャンプの看板だった本宮ひろ志先生がマガジンに移籍して描いたもので、この時点ですでにかなりいわく付きですが、実際内容的にも「竜の入れ墨とボール型のアザ」「超人野球」「9人の仲間を集める」など酷似している部分も多く、「ジャンプ編集部が裏切り者の本宮に対抗馬をぶつけた」という声もありました。ただこれらはあくまで推測に過ぎず、また群竜伝について語るとかなりの分量になってしまうので、これはまた別の機会にしたいと思います。

さて、ご存じない方のためにあらすじをざっくり説明しておくと、戦時中、フィリピンに出征していた巨人軍の大投手・沢村栄治は、1954年(昭和29年)9月9日9時9分9秒、身体のどこかにボール型のアザを持った野球超人が誕生する夢を見ます。そして「戦争ではなく野球でアメリカに勝つ」という理想を、現地の少年・シュウロに託して沢村は戦火に散りました。

時代背景として、1970年代初頭は、70年安保、労働争議、浅間山荘事件など「強いもの=権力には勝てない」という挫折感が若者に蔓延しており、そこに「一試合完全燃焼」を掲げるアストロ球団を登場させ、「奮起すればおのずと道は拓ける」というメッセージが読者の共感を呼んだのではないかと、後に原作者の遠崎史朗氏は振り返っています。あれから50年以上、大谷選手をはじめとして、多くの日本人プレイヤーがメジャーリーグのトップとして活躍する姿には本当に隔世の感がありますね。

アストロ球団はクレジット上では「原作・遠崎史朗/漫画・中島徳博」となっていますが、実際には「暴走する漫画家」こと中島先生と、ジャンプの若手編集者・後藤広喜氏がメインに作品を作り上げていたようです。当時の編集長だった西村繁男氏は「読者アンケートの反応を見ながら漫画家と編集者が一緒にストーリーを作っていくという週刊ジャンプの漫画作りの原点」と位置づけています。

そしてこの時、中島先生のアシスタントを務めていたのが、後に「ドーベルマン刑事」や「ブラック・エンジェルズ」で名を馳せる平松伸二先生。平松先生によると、「そしてボクは外道マンになる」に登場する猛烈な編集者「権藤狂児」こそが後藤広喜氏なのだそうです。それにしても、平松先生が中島先生のアシスタントを務め、またアストロのライバル的な作品である井上コオ先生の「侍ジャイアンツ」のアシスタントを車田正美先生が務めていたとは、今考えるとすごい時代でしたよねぇw

と、ここまで書いていたら、内容の話をする前に、かなりの長さになってしまったので、それはまた次回書きたいと思います。私は1961年生まれなので、幸いにしてアストロ、リンかけともリアルタイムで読んでいるのですが、リンかけのメイン層である「世界大会時に小学校高学年から中学生だった世代」は、アストロを未読の方も多いと思いますので、ぜひ一度お読みくださいませ。正直、ぶっ飛び具合では明らかにリンかけを凌駕していますw

当時のコミックスはちょっとプレミア的な価格になってしまっているのですが、ebook から電子書籍が発売されているので、こちらはクーポンを利用すれば全巻揃えても6,000円程度でいけるはずです。台詞の改変などはほとんど無く、やや差別的な表現も含めほぼそのまま再現されているのでおすすめですよ。

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